【プロフィール】
濱口芽(はまぐちめい) さん
岩手県育ち、陸前高田市在住。現代美術家。京都市立芸術大学美術学部及び同大学院美術領域油画修了。主な展示としてグループ展:A-Lab Artist Gate 2017(兵庫)、個展:ギャラリースペース1916(広島)・Not Meaning but Molding(大阪)、公益財団法人さんりく基金ゼロスポット企画での公開制作など。
個人との関係作りや人々が集う場所を考える
ーー濱口さんのご経歴を教えてください。
濱口さん
大阪府生まれで岩手県育ちです。県北から今住んでいる陸前高田までは県内で何度か引越しています。
学生時代を遡ると、大船渡高校を卒業したのち、京都市立芸術大学に進学、同大学院油画を修了しました。大阪生まれなので、関東の芸大より関西の芸大の方がなんとなく馴染みがあったんだと思います。
ーーなるほど。大学・大学院時代は関西にいらっしゃったんですね。
濱口さん
京都の新京極通商店街など、街でのパフォーマンスも行なっていました。街行く人たちの反応が面白かったです。
また、3.11は大学入学の年でしたので、学生時代にも東北とは関わりをもち、主にお盆に女川での迎え火プロジェクトの運営、女川の人とのワークショップなど、個人との関係作りや人々が集う場所を考える企画にも参加していました。
ーーその後は関東でご就職されたとお伺いしました。
濱口さん
大学院卒業後は関東のマネキンや内装デザインを手がける会社でマネキン原型師として、粘土で塑像し石膏型を作り、それをFRPにおこして磨いて仕上げるというマネキン製作・改造の全工程を手がけていました。それまで自分の制作は二次元的なシルエットや線を抽出するやり方でしたが、「三次元の立体物を作るという別のベクトルからの視線を獲得しなければいけない物づくり」をこの期間で学びました。
キャンバスからはみ出て日常の空間へ
ーーさまざまなご経験をされた濱口さんですが、作品はどのような変遷があったのでしょう?
濱口さん
最初はクロッキーから始まりました。裸婦をモチーフとした作品を描いていたのですが、「裸婦に自分を重ねて見ていたのでは」という気づきがあり、自分の体をモチーフにすることも多くなり、自分が育てている植物など、対象物も少しずつ変化しています。
濱口さん
また、表現するものもキャンバスからはみ出て日常の空間へ変化していき、グラフィックテープをもちいた作品をつくるようになりました。全体的なテーマとして、理想的な線・フォルムの追求、日常の中に非日常を持ち込む、一言では言えないような存在の曖昧な何かを造形によって追求すること、などを考えながら制作しています。
ーー次の画像の作品も面白い取り組みですよね。
濱口さん
これは、簡易の移動式しきりを作り、中で衣服を脱いで少しずつ移動していきながら、自分の体をモチーフとして壁面に制作していった作品です。
濱口さん
空間への作品をつくりはじめてからは、公開制作になることが多く、「制作のなかでの過程の観察、その時その場で何ができるか、限られた、制限された中で何かを作る」ということにも意識がいくようになりました。
ーーその後の包帯を用いた作品にもつながりそうなことですね。
濱口さん
自身が骨折したことをキッカケに日用品に包帯を巻いて形を作っていく作品も制作しはじめました。造形することで、その物が固有名詞では呼べない、もともと属するジャンルから離れた別の何かにすることをイメージして制作しています。
濱口さん
テープでの制作も包帯をもちいた作品も、両方に共通することは、自分の手で触りながら(絵筆を介してなどワンクッション行程を入れず)納得のいく形に仕上げることです。どちらも前述したような「理想的な線・フォルムの追求、日常の中に非日常を持ち込む、一言では言えないような存在の曖昧な何かを造形によって追求すること」がテーマだと思います。どこまでもできるものなので、どこで終わらせる(完成にする)かが課題だとも考えています。
ターニングポイント
ーー濱口さんのなかでこれまでターニングポイントを感じた瞬間はありますか。
濱口さん
やはり裸婦から自分の体へ対象が移ったことかと思います。テープから包帯の作品までの間に骨折し動きが制限されたこと・体調の優れないときにビニールシートを床に敷いて座ったり這いつくばった姿勢で制作し始めたことで、モチーフを見る視点が変わったり見えかたが変わることに気づき、現在のような作品につながっています。
また、釜石での公開制作もターニングポイントとして挙げられるかと思います。
濱口さん
線を重ねて作っていくこと(その結果抽象的な画面になること)が初めてできた制作でした。与えられたスペースの中に綺麗に収めすぎることから脱却したかったので貴重な経験になりました。時間によって見え方が変わるように作れることも初めて知れて学びにもなりました。
岩手での活動について
ーー現在は陸前高田を拠点にされている濱口さん。岩手での働き・暮らしについてどうお考えなのでしょうか。
濱口さん
良いところを挙げると、夜が暗いところですかね。星が見えるのは嬉しいです。あとは、季節のサイクルを単に気温などからだけではなく、例えば田んぼの1年での変化、木の1年での変化、そういったものを実感し続けながら生活できることはやっぱり良いですね。
幼少期は県北に住んでいたので、冬は雪で全てが覆われて全ての形がもこもこしたものに変わるのですが、そういった原風景から包帯での制作や形に固執するようになったかもしれません。
少しさみしいところでいうと、人が少ないことです。周りからの刺激が関西や関東と比べるとやはり少ないかなと思います。京都が特別なところもありましたが、岩手も芸術分野に関する支援が増えていくといいなと考えています。
ーー釜石についてはいかがでしょう?
濱口さん
陸前高田から向かっていると海が何度も見えることが気持ちいいです。また、今回の企画のような団体があったり、集まれる機会があることが嬉しいです。
ターニングポイントにもあげたように釜石での公開制作では、作品の新たな展開ができたり、アイディア出しをしている時からも久々に作ることを考えることができて楽しかったです。
イベントを終えて
釜石の公開制作をキッカケにお声掛けさせていただいた濱口さん。大学時代からの作品の変遷をお話いただき、面白い気づきをたくさんいただきました。記事をご覧いただいたみなさまも、ご機会ある際はぜひ濱口さんの作品を観に行かれてみてください!