【プロフィール】
澤田麟太郎(さわだりんたろう) さん
釜石生まれの東京育ち。2018年より釜石に引っ越 し、祖父母の残した家に隠棲している野良の陶芸 家。10数年放置された庭木や盆栽の手入れに悪戦苦闘 する日々。時間があると庭をうろうろ、枝をちょきちょ きしています。
主に、器を「満たす」事で造形物に変えるという手法 で作品作りをしています。2020年からは季節感を意 識した、その時期にしか生まれない作品も手がけて います。私が出来る範囲で釜石に還元できることを探してい ます。
陶芸の沼にズブズブとハマっていく
ーー澤田さんのご経歴を教えてください。
澤田さん
昔から何をやっても気持ちが入らず、家庭の事情もあり家の中でプラモデルを作ったりゲームに多くの時間を費やしました。しかし、心を満たすための術とはなりませんでした。
進路を決める時期になると、自分の中にある選択肢が誰かが決めた矢印の一つでしかない事に気が付き、好きなことをしたいと思いはじめ、美大受験を目指すようになりました。
3浪して多摩美術大学へ入学。陶芸コースを選択することにしました。「陶芸」を選んだ理由は、好きという訳ではなく、一人でコツコツできそうだな、という程度でした。しかしその後、大学で初めて触れた「陶芸」の沼にズブズブとハマっていくことになります。
闇期から乳化
澤田さん
「重油のようにドロリとした灰汁の強い大学で出会うやきもの川の様にさらさらと、しかし力強い流れの中にある伝統の陶芸」決して混ざり合う事のない水と油は攪拌することで、乳化するといいます。その1点を探す作業が大学のころから私が見つけようとしている事です。
器作りは好きだ。だがしかし、内側から溢れてくる造形物への熱い意欲は一体なんなんだ。
私の中では、この乳化するまでの期間を闇期(=病期)と呼んでいます。腑に落ちる答えが見つかるまでは、何も作らない事とし、その後8年間、作業場にも寄り付きませんでした。
ーーその後、一度就職されたと伺いました。
澤田さん
作ることそのものに嫌気がさした時期もあり、未練を断ち切る為に土臭さの全くないインフラエンジニアへと舵をきることになります。
しかし、8年後の9月某日。エンジニアとして板についてきて日本中を駆け回る日々のある夕方、その日の仕事終わりに食べ物とお酒をいつもの様に買い漁り、伊勢崎市のホテルの一室で一人晩酌をしようと、缶のハイボールをぷしゅっと明けた瞬間、脳内に「チン」というベル音と共に水のようなものが流れ込みその勢いで一気に乳化が進み、ふっと我に返りました。
ーーなるほど、、乳化されたのですね。
澤田さん
それからはもう本当に勢い任せで仕事を辞めて翌年2月に釜石へ引っ越しました。そのころ釜石の祖父母の家では、一人残っていた祖母が寝たきりとなり病院での療養生活をしていて、家は空き家同然の状態でした。
引っ越し当初は入院中の祖母の様子を見つつ、生活を建て直す為に日中は工場で働きながら朝と夜は制作の時間に割り当て、合間にほったらかしだった庭と盆栽の手入れをしながら過ごすことになりました。
ーー現在は、どのような働き方/暮らし方をされているのですか?
澤田さん
現在は、制作に全てを捧げる生活をしています。昼間は制作をして、夜は庭にある植物を調べるために図鑑を見たり、選定の仕方など実用的なところを勉強したり、制作に通ずる学問(哲学や仏門、古典文学)の本を読む時間にあてています。
大学時代の続きのような生活です。経済的には楽とは言えませんが、今の状態が私には一番合っていると思います。とにかく、制作のことだけを考える時間が大切であると思います。
時間はたくさんあると思いがちですが、気づきは、日々の積み重ねでしか得られないと思っています。考えることを止めない環境を作る事が道を極める上でもっとも大切であると考えます。
造形物へと変わるための器
ーー現在の作品/作風の簡単なご説明をお願いします。
澤田さん
私の作品は、器作りから始まります。
この場合の器は食べ物を乗せるためのものではなく、造形物へと変わるための器です。その器を釉薬や陶器の破片で満たして焼成することで、storageシリーズの作品は生まれます。
完成した作品は、見慣れた陶器のかたちに似せたものや、砕いて石のカケラのようなものなど、様々な種類がありますが、すべては器作りから始まる点においてStorage(=いれもの、貯蔵する)という名前の作品は共通しています。
澤田さん
現在のstorageシリーズの原型は大学時代に遡ります。土は焼くことでかたちにしますが、一度焼いてしまうともう土には戻りません。作品として日の目を見るものの舞台裏では、多くの試作品、失敗作品が存在します。土なら自然に還りますが、産業廃棄物へと変わってしまった失敗作品は人の手を煩わし、粉々にしたとしても、もう自然には還りません。
そこでせめて自分が生み出した失敗作品だけでもどうにかならないか、と考えたのが「日常の底」という陶器のいれものの中に失敗作品を砕いて詰めて焼いたシリーズでした。当時は、器に意味は無く、失敗作品をひと塊に焼くための棺桶のような感覚でした。
やきものは、使うこと、鑑賞することの2つの要素から出来ています。食器とやきもののオブジェの違い…やきもののオブジェと彫刻… 曖昧な稜線のなか迷走中し、闇期(=病)も訪れましたが、なぜか「陶芸のオブジェ」は確かに存在するという確信はありましたので、何年かかっても、最悪死ぬまでには答えを見つけてやろうという気持ちで現在も製作をしています。
釜石での展示企画について
ーー釜石での展示など行われてみていかがでしたか?
澤田さん
釜石での展示は、震災当時「私には何ができるのだろうか」と悩んでいたことの一つの具現化です。当初、ボランティアや復興の仕事に携わりたいと思っていましたが、その時はなぜか全てが上手く行かずなにもできないまま時は過ぎて行ってしまいました。
気が付くとハード面での復興もほぼ終わり、何のためにここに来たのだろうと鬱々としていたところに、釜石での展示のお話をいただき、微力ながら誰かの役に立てるのでは、と考えました。 無名の作家の作品が受け入れられる自信は全くありませんでしたが、会期中にご来場戴いた方々は、面白がってくれたり、感謝してくださったり、多くの方が笑顔になってくれているのを見て、受け入れてもらえたことが凄く嬉しかったです。
同じ気持ちになることはここを除いて無い
ーー地元である釜石に対しての想いなどお聞かせください。
澤田さん
釜石だからやりやすいということは正直言うと何もありません。やきものの産地でも、良い土が採れるでも、窯が築けるわけでも、知り合いがいる訳でも、ありません。小さい頃からの目標の一つであった「この家に住む」という目標を達成できたことからくる安堵感で今はひたすら胸が一杯です。
素敵なアトリエはありません。屋外に増設した納屋だった4畳半のスペースが制作場所です。夏はくそ暑いし、冬はくそ寒い。ストーブを置くスペースもない。雨が降れば雨漏りもします。窯だって小さくて安いやつ。
それでも、窓の外を見上げれば祖父母が愛した庭から臨める山がある。山と空の稜線をなぞる自由がある。その稜線は天候や季節毎にぼんやりしたり色彩が変わったり。遠くから聴こえる吹奏楽の音色。部活の掛け声。景色と音の調和がただただ沁みる夕暮れ。
それだけでここで生きている意味がある。どこにでもある景色かもしれないし、もっと良い景色はたくさんあるでしょうけれど、同じ気持ちになることはここを除いて無いと思います。
イベントを終えて
大変興味深い経歴をお持ちの澤田さん。これまでの人生で積み上げた哲学や、作品の試行錯誤を経て、現在地元釜石で活動をされていることに、この地で生きることの魅力と心地よさを今までにない視点で学べたかもしれません。ご登壇、ありがとうございました!